リオの5月

そこはまるで、リオデジャネイロ

オザケン「今夜はブギーバック」の正統的継承者はHALCALIかもしれない

そもそもオザケンの魅力って、たとえばラブソングを、ストレートに「歌い上げる」のではなく、陽気でもあり、シリアスとも取れる不思議な声でさらっと歌い、そこに期せずして情感がこもってしまう…というものだと理解していた。
都会者の余裕というか。
そこにきっとあるはずの熱い感情や思い入れをそのままにはぶつけてこない。
そしてこのHALCALが歌う「今夜はブギーバック」、物凄く素敵なアレンジだと思うのだけど、それはこの「心を込めすぎない」余裕が生んでいるのだと思う。

HALCALIはこの名曲を歌い上げない。まるで他人事のようにこの歌を楽しんでいるようにも見える。
だけどバックでは、東京No1SoulSetが情感を裏打ちしている。
結果、この歌の主語がいったい誰によるものなのかが、だれによる情感なのかが分からなくなる。
 
そういう無名性がいかにも東京的で、地方の高校生だった頃にオリジナル版の入ったMDを擦り切れるほど繰り返しながら、「こういうのが東京ナンやナ」と路線から田んぼやら海を見ながら感じていたことを思い出すのだ。
 
聞けば聞くほど、この歌は誰が誰に向かって歌っているのかわからないし、そこが「かつてこの曲を聴いていた者」の情感を乗せやすい要因になっているんじゃないのか、とまた聞き返しながら思った。